lovely-mother’s blog

うちのお母さんはかなり病院嫌い。嫌いというより自分で治せると思う派。そんなお母さんが乳がんステージ3bと申告されてから5年と6ヶ月経ちました。その間食事療法や岩盤浴通い、睡眠改善など徹底して行っていたお母さんの事を書いていきたいと思います。お母さん目線、私目線、姉目線などいろいろな視点からそれぞれの想いなども一緒に書いていきたいと思います。

先生の貧乏ゆすり

2012年3月9日
今回はお姉ちゃん目線での話しです。

担当医から、家族を連れてくるように言われたと聞き、妹と2人で説明を聞きに行った。

おおよそは妹から聞いてたことを説明され、進行の早い浸潤ガンで、早急に除去するのが望ましいと言われた。
事前に調べていたこともあって、よく理解できた。


話を聞いてから、私は先生に「セカンドオピニオンを考えたいと思っています。」とだけ言った。
その時の先生の様子。。。
今でも妹と「あれ、何だったんだろうね。。。」思い返す事がある。

私が「セカンドオピニオン」と言った途端に、先生が貧乏ゆすりを始めた。
もうガクガクというくらいに片方の膝が揺れる。
先生は貧乏ゆすりを止めようと思ったのか、手を膝の上に置いた。
そうすると膝も腕も一緒にガクガクと揺れた。


セカンドオピニオン」と言われて、何か心理的なものが脚を動かしたんだろうと思った。
その後、特に何か説明されたという記憶がない。

何処に行くのかと聞かれ、仙台のバック療法の病院の名前を取り敢えず告げた。

セカンドオピニオンを決めた

 

 

私の姉がセカンドオピニオンを決めた時の話しです。


この時、姉は強い気持ちを持って、妹のガンと向き合っていこうと決めたと話してくれました。

そのきっかけとなった本、前回紹介した「あるガンが消えて行く食事」からの抜粋です。

 


『現在までの約10年間に、食事指導を行った各種ガンの症例についてこ集計結果が出ました。
対象は、胃ガン、大腸ガン、肝臓ガン、乳ガン、前立腺ガン、悪性リンパ腫など、計110例です。
いずれも晩期ガンを含む進行ガンで、根治手術後の再発例も約半数含みます。

 

 

これらの患者さんに食事療法を行ったところ、完全治癒13例、改善58例、不変2例、進行3例、死亡34例で、有効率66.3%という結果を得ました。

 

 


さらに、乳ガン・前立腺ガン・悪性リンパ腫といった、ガンのなかでも食事療法が効果を示しやすいものについては、70〜75%の有効率となっています。

 

つまり、再発を含む進行ガンでも、きちんと食事療法を行っていけば、6〜7割がするのです。』


姉はこの本を読んで、手術も抗ガン剤治療も放射線治療もやはり何かズレているとのだと思った。

 

ましてや全摘なんて!こんな重篤な診断。
一つの病院の診断だけを鵜呑みにしてはいけない。
重篤だからこそセカンドオピニオンは必要だと考えたと話してくれました。

毎日八時間寝ること!!


野菜ジュース、健康、ガンについて、お姉ちゃんがいろいろ本を読んで調べてくれた。
話を聞いているうちに、本嫌いな私も読んでみたいと思った。

ある本を読んでから(『お母さんの姉が癌と聞いてから』に詳細あり。)、
食事療法が始まって、生活リズムも変わってきた。
まず始めたのは、『必ず8時間は必ず寝る習慣』だった。
それからは22時には、お布団には入るようになった。

 

たまたま知り合いの保険屋さんが営業に来た。
私がガンであることを知らずに、「ガン保険
の話や女性疾病の話」など、保険について一
生懸命に説明し始めた。

どんな話しをされても、私はもうガンになっ
ちゃってるから入れないのに…とだけ思うの
だった。
真剣に話を聞いていたからか…最後にまた来
ますって言って帰っていった。
また来ても、またただ聞くだけになっちゃう
のに…
いつか打ち明けないとって思った。


2012年3月7日
今日はMRI検査、なぜ自分がこんなに元気な
のかが不思議だった。
ガンという感覚がないんだもの。

MRI検査は暑くて、汗をかいてしまうような
検査だった。
手術が近づいて来てるんだなぁ〜

「全部の検査結果を明後日、家族を連れて聞
きに来てください」と会いたくない病院の先
生に言われた。

手術後は右の胸はなくなる…
そう考えると本当に嫌だった。

「手術をしながらリンパの転移の検査も行な
います。
もし、転移していたら、全摘って事もありま
す。」と先生は感情もなく、私に話した。

乳がんの全摘した写真や話はインターネットで嫌だというくらい見た。
女性として胸がなくなることは苦痛である。
それなのに、そんなことをなんであんなに簡単に話せるんだろう。
私はただ聞くだけで、頭の中ではなぜか手術をしてるシーンをイメージしてた。怖!


嫌だ 。全摘なんて絶対に嫌。
でも、やはり涙も出ないくらい感情が混乱し
ていた自分がいた。
今だからこうやって話せるけど…

帰ったら、お姉ちゃんに「一緒に病院に行ってほしい」って頼まないと。
そしたら初めて家族を連れて行く日になる。
結果を聞いたら、みんなも私のような気持ち
になるのだろうか?


家に帰って先生に言われた事を家族に話した。
私のお姉ちゃんが「セカンドオピニオンも考えてみよう」って、自分の事のように考えてくれた。
ありがとう、お姉ちゃん(^^)

だから、明後日病院に結果を聞きに言った時に、セカンドオピニオンの話しをしようってことになった。

お姉ちゃんの言葉で凄い勇気づけられた。
私には頼れる、尊敬できるお姉ちゃんがいるんだって。
次の病院は2人で行くから怖くない!

『こんな病気なんか…。ガンなんか…。きっと嘘だ。嘘であってほしい。』
でも、いざ1人になってお布団に入るといろんな事考える。
『死んでなんかられない。絶対生きないと!』

この日の娘たちとのやりとりは、
上の娘が、下の娘の美容学校のモデルをして来たって(o^^o)
姉妹仲いいのはいいね。
お母さんたち姉妹と同じだよ。

お母さんの姉の癌と聞いてからの日々

 


眠れないまま夜が明けた、妹の癌は私の心にも住みついて、四六時中いろんなことを考えさせる。

喜怒哀楽。。。
怒哀ばかりを。
繰り返し繰り返し考えさせられる。

 

そんな中でも、少しずつ冷静に働きだした頭は、妹が死ぬわけがない!
そんなことあるわけがない!
治さなきゃ!
今は治すことを考えなきゃ!
とにかく治す!
と、癌を治すための戦闘モードに気持ちを持ち直させた。

 

癌を治す方法を探すため小さな街の本屋に向かった。

手術、抗がん剤治療、放射線治療といった類のものは全く考えず、むしろ、それ以外の方法を見つけようと考えていた。数冊の中から「これ!」と思うものを見つけた。


その時選んだのは『 今あるガンが消えてく食事 』 済陽高穂  著

 

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そこから私と妹の産直通いが始まる。
野菜ジュースを作るために毎日さまざまな種類の野菜が必要だった。


人参、じゃがいも、カブ、ピーマン、など。

 


✳︎本の内容については、次の機会に簡単にお話ししようと思います。

野菜ジュース飲み始め

2012年3月3日
昨日が最後のバイトの日だったはずなのに…
団体の予約入ったため、辞める日が1日延びた。

『楽しくバイトしてたのに、今日が最後のバイトになってしまうのが残念。
そして、これから居酒屋が忙しくなる時期なのにすみません!
また、元気になって働きたい。
でも、今は体を休めて頑張ろう(^^)』
って日記に書いてあった。

2012年3月4日
毎日、病気と向き合ってなんていられない。
自分らしく生き続けたい。

温泉行って、ゆっくりして…
こんなのっていいなぁ〜と思った。
楽しい事をもっとしたいよね。
その方が元気になれるって感じ!


この頃からは、出かける時にも野菜ジュースを持って歩いた。
搾りたてのフレッシュな時に飲むのがいいのは分かっていたが、野菜で栄養を摂取したほうがもっといいって思って、意識してた。


野菜スムージーのメニューは、小松菜、人参、りんごがメインで、あとは家にある野菜。
それから、国産レモンの絞り汁を入れる。

りんごを入れて、少し甘みをつけた方が続けやすい。
緑の葉っぱだらけだど、だんだん飽きてきてしまうから。

そして食べる時は必ず、『がん細胞がなくなれ〜。綺麗になれ〜。』って思って飲んでた。
ちょっと笑えるけど、これで元気なれた(^^)

出かけて帰って来てからも、野菜ジュースを飲んだ。
夕食は野菜づくしで、野菜の栄養でか元気になる感じがあった。

この頃からは、このような食事療法を始め出したのだった。

手術前検査の日

2012年3月2日
仕事を休んで朝から病院に行った。
今まで体調が悪くても仕事を休むことがなかったから、この時ばかりは本当に嫌だった。
そして、あの先生に会うのも。


手術をする前にいろんな検査をする事になり、朝からいろんな機械を使った検査を受けた。
人間ドックの時に受けたマンモグラフィもあった。

淡々と検査を受け、次はなんの検査をされているのか分からず、大きな機械の中に入れられた。
毎日寝たか、寝てないか分からないような日々だったからか、機械の中で寝てしまった(^^)

気づいたら夢と現実の狭間で、なぜか笑って目が覚めた(笑)
『なんで笑える夢なんか見たんだろう?』
リラックスしてるとは思えないのに…


それから、血液検査。
注射をさされた所が痛い。


一人で行く病院なのに、悲しい気持ちも、なんにも感じなかった。
凄い不思議な感覚で、ボーっとしているうちに、先生の部屋に呼ばれた。

生きるか死ぬかって言われてるのに、「次は5日後にMRIの検査をします。」だって。
検査する間隔がこんなに空いても大丈夫なら、生きるか死ぬかなんて言わなく良かったじゃん。
そう心の中で叫んだ。


その夜は、最後のバイトの日。
居酒屋でバイトしていたが、体の事を考えたら辞めるしかない。
本当は、『楽しいから50歳まで働かせてください!』って始めたのに、今日で最後。

辞める時は病気の事は言わなかった。
でも、そしたらなんて言って辞める話しを切り出したのだろうか?
はぁ〜嘘ついて辞めてるから覚えてない。
嘘はだめだね。


そもそもなぜバイトしたかと言うと…
学生の時から一度もバイトをしたことがなく、美容師になり、本業だけをしてきた。
娘達の話しを聞いているうちに、楽しそうだし、死ぬ前に一度経験したいと思って始めた。

そもそも若くもないのに、後悔はしたくないと無理をしすぎたのかもしれない。

宣告された次の日

宣告された次の日、私は慣れないパソコンを人差し指でカチカチと、必死で乳がんについて調べた。
プラス思考な私でも調べれば調べるほど、どんどん気持ちが沈んでいくのが分かった。
だって、ネットにはいい事なんて書いてないんだもの。

本当に寝れない。
娘2人が楽しそうに遊んでいたり、一緒に買い物したり、旅行したり、思い出に浸っては、涙が目に溢れてくるのだった。

 

そんな落ち込んでても仕方ない。自分にそう言い聞かせながらも・・・
病院に行き始めてから、一日一日が考える事がいっぱいで長く感じた。

健康志向な姉に野菜ジュースが良いと言われ、人間ドックに行った日から、野菜スムージーを毎日飲むようになった。
それ以外には、特に何をしていいのかも分からず、ただ野菜スムージーを毎日作って飲んでた。

 

2012年2月29日
また夜がきた。部屋でパソコンを見ながら落ち込んでいると、姉から電話だった。
「東京でNK細胞を受けられる場所があるよ。それってね…」って、一生懸命説明してくれた。
落ち込みかけてた私には、涙が出るほど嬉しいはなしだった。

周りで乳がんだった人がいなかったため、全てのことが初めてだった。
私の周りには私を考えてくれ、想ってくれ、支えてくれる人がいる。
姉の話しを聞いて『長生きするぞ(^^)』って思う自分がいたんだろう。
強い直筆で日記に書いてあった。

 

私が乳がんについて調べているように、姉も娘も自分の事のように調べてくれてたんだろうなぁ〜。
病気、ガンになったのは私なのに…家族みんなが同じ気持ちになってくれてるんだ。
そう思ったら、頑張ろうって、ガンと闘うって思えるようになってきた。

NK細胞について調べてみると、効果があるものだって知った。
でも、その治療を受けるために東京までは通えない。
だからもっと色々調べた。

この日の東京は、すごい雪だったみたいで、「雪が積もってるよ」って娘から写真が送られてきた。

 

2012年3月1日
この日の日記
『子供たちも心配してくれてる。
頑張る気持ちになるよ。
お母さんは元気が取り柄だから頑張る✌️
温泉楽しみにしてるね。
明日は病院だ!』