lovely-mother’s blog

うちのお母さんはかなり病院嫌い。嫌いというより自分で治せると思う派。そんなお母さんが乳がんステージ3bと申告されてから5年と6ヶ月経ちました。その間食事療法や岩盤浴通い、睡眠改善など徹底して行っていたお母さんの事を書いていきたいと思います。お母さん目線、私目線、姉目線などいろいろな視点からそれぞれの想いなども一緒に書いていきたいと思います。

細胞培養、食事療法!!

 

 

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仙台の病院からハガキが届いて、
細胞培養ができることになった。


そして、下の娘から連絡がきて「来宮神社に行って、お母さんが元気になるようにお願いして来たよ」って!
みんなに応援されて、なんか毎日が楽しくなって来た^ ^
嬉しいことが続いて嬉しいな〜

そんなこんなで、いろいろ良いものを取り入れるために、新しいジューサーを買った。
低速ジューサーだと酸化しづらくていいということで。

ジューサーを使い始めてから、野菜カスがすごい量出るため、何かできないかと応用を考えてみた。
野菜カスでスープを作ってみたり、
食物繊維たっぷりのお好み焼きを作ったりした。
先日、自分で決めた料理には味付けをほとんどないのにも、慣れはじめてきた。

野菜の上に白身魚を乗せて蒸す。
野菜の上にササミ肉を乗せて焼く。
なるべく油も使わないように調理した。
油の酸化は良くないので、使い回しもしなかった。

2013年3月23日
2人の娘が東京から帰ってきた。
そう、乳ガンの報告をしてから、初めて子供たちに会う。

私が普段早寝早起きをしてること。
野菜中心の食事で、味付けもほとんどないこと。
子供達は全て知っていた。
夜10時なるとお母さん寝ていいよって言ってくれたり、
朝になるといとこが飼ってる犬のクッキーの散歩にも付き合ってくれたりした。
東京での話やいろんな話をしてパワーをもらえる。

23日からは野菜ジュースに入れていたレモンを、国産レモンに切り替えた。
値段が輸入品よりは高いけど、栄養価や皮についているロウもほとんどない。
私は野菜ジュースに1個使うので、1日4個摂取した。
レモンはジューサーに入れることができないので、果樹を絞って入れた。

ビタミンや栄養を摂取するのに、化学成分で出来たサプリメントではなく、天然成分から摂取するのにこだわった。

自分がやれることをやる

 

 

 

 

手術を止めると決心し、自分がやれる事をなんでもやって見よう決めた。

●野菜ジュースを1日4回で2L飲む
朝食、昼食、15時、夕食の後にジューサーで作った野菜ジュースを600cc飲む。
噛んで食べる食事の方が痩せることもなく、体がより吸収できると思ったため。
作り置きはNG、時間が経つと酸化してしまうため。
野菜はお湯で洗うと栄養価が失われ、酵素が死んでしまうので、寒くても水で洗う。
スムージーでは量が飲めないため、ジューサーで野菜ジュースを作る。
外出して飲めないときは、マルチパウチに入れ空気を抜いて持って歩いた。

●早寝早起きをする
朝は6時に起床し、窓を開けて太陽に向かって『おはよう』と外の綺麗な空気を吸う。
太陽を浴びて、体を目覚めさせる。
夜は22時に就寝し、8時間睡眠を心がける。

●食事を野菜中心の生活に変える
旬の野菜を入れた味噌汁を、発酵食品である味噌は自然のものを使う。
土の中の野菜をメインで食べる。土の中にある食べ物は体を温める役割があるため。
おやつにはサツマイモを蒸したものを食べたり、添加物が入っていないものを食べる。

●自分より大きい物や、4本足のものは食べない
牛肉、豚肉は一切食べず、お肉を食べるとしたら鶏肉のみ。
そして魚は白身魚を食べる。

●玄米ご飯を食べる
噛む回数も増やし、細胞膜を壊し、食べ物を吸収しやすくする。

●調味料はほんの少しだけ使う
納豆には醤油をつけず、本来の味を味わう。
ソース等は耳かき程度で、風味がする程度だけ使う。

●運動を適度にする
音楽を聴きながらリラックスして、1キロくらい毎日歩く。
たまに犬の散歩をしながら散歩してり、週に一度バドミントンをしたり、運動をとりあえずする。
体に負担をかけることも大事。

●仕事をしてお客さんからエネルギーをもらう
私は接客業が天職だと思っているし、お客さんために働いているときがとても幸せ。
幸せを感じることをいっぱいする。

●子供達と毎日会話やコミュニケーションをとる
子供達と話をしてる時も幸せを感じる。
子供たちと話して笑って、1日が終わる。

こんなことを意識しながら、毎日生活した。
次の仙台の病院までに何かが変わるように。

仙台の病院結果、


免疫療法は高額だった。
1クール25万?そんな感じだった!
何かにはなるだろうって気持ちだった。
リンパ球が上がればガンとは戦えるって思ってたからとにかくリンパ球をあげよう。
その日はとにかく自分の血液を取って2週間かけて細胞を増やす。
2週間後にそれを体に戻すという治療だった!
14日に取った時に血液検査の結果

 

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元気と向き合って生きて行こうと決めた日

 

 

2013年3月14日
世の中はホワイトデーでウキウキしているそんな日に、私は姉と病院

先生の話と姉の話を黙って聞いているだけの私。
はじめて姉が攻撃的な顔をしているのを見た。
私以上に真剣だった。


ずっと強くプラス思考でいた私の心は…その時、死んだ。
病院の先生の言葉に殺された気分だった。

孫の顔も見たいのに、お母さんより早く死ぬなんて、なぜこんなこと…
生きることから遠ざかっていった。

この病気になって始めて泣きじゃくっている私。


看護師さんと姉の会話で「手術をしないからってすぐに死んじゃうって事はないですよね」って話してたのが頭に残ってた。

気持ちの整理をする時間はなかったが、手術をしないで自分たちで治せるって強い気持ちがどこからか湧いてきた。

姉のリードにより先に進むことができた。
じゃぁ〜今私に出来る事は、とにかく仙台のきぼうの杜に電話してみよう。
病院の公衆電話からすぐ電話した。

すぐに来ていいって言ってもらえたから、岩手の某病院から仙台の病院へ向かった。

車の中では 『病気と向き合うのはやめよう。元気になる事と向き合っていこ。

私の病気に対する持論

 

 

 

私は昔から元気が取り柄で、風邪を引いて39度の熱があっても病院に行く事なく、ビールを飲んでお風呂に入ると治る。って決まってた!


子供たちにも怪我をしても、それは元気の印だよって褒めて自分で手当てをしてた。
風邪を引いて熱が出た時は、まず熱を大体上がるまで体温を上げて、そうすると熱で風邪菌がやられるから、
それから体を冷やして美味しいイチゴやゼリーなど好きな物を食べさせて直してた。
それがいいのかは分からないけど。。

だから、きっと子供たちは数えるくらいしか病院に行った事がないだろう。


人には自分で治す力がある。
[手当て]
この漢字のように、手を当てて治すのが大切だと思う。
病は気から!ってその通りだと思う!

『ガンも自分で治せる。病は気から!』
ガンもこの考えて治るって思うまでには、いつもよりはかなり時間がかかったとは思う…。

家族で話した結果 、食事療法・生活習慣を変えて、自力で治してみせるって思えるようになった。

手術をやめようと決めた日

 

 

2013年3月12日

セカンドオピニオンに選んだ仙台の「きぼうの杜」にお姉ちゃんと行った。
そこでは免疫細胞治療法を行なっている。

行きの車では、期待を胸にお姉ちゃんと楽しく話をしながら向かった。
その病院には、とにかくなんでも相談して、どんな治療があるのかを聞きに行った。


有名な治療で「BAK(バック)療法」があった。
うる覚えだが、その治療法は自分の血液を取って、それを2週間かけて自己免疫を活性化して体内に戻すという治療だった。

抗がん剤治療した副作用を軽減させてくれるらしい。
効果があるのかどうかは不明だったが、病院は癒しを与えてくれるような所だった。


私たちはこの治療を受ければ、手術をしなくていいと思って行ったから、想像していた治療と効果とは違った。

相談した先生にも「手術をしないでこの治療だけをやるということは基本的にはない」という答えだった。


帰り道は、想像と違いすぎてガッカリしながら帰ってきたことを覚えている。

岩手の某病院に帰り道立ち寄った。
仙台の病院に行くことを伝えるために。
先生が不在で、明日いるので明日来るようにと言われてしまった。

2013年3月13日
翌日、今度は一人で岩手の病院の先生に会いに行った。
仙台のきぼうの杜に行く話したが、先生はいつも通り私を説得し始めた。
そして、私はまた元気がなくなってくる。

これじゃ〜病気が進行しそうだ(//∇//)
私では話がつかないので、「明日家族を連れて来てください」と言われた。

帰ってから、お母さんとお姉ちゃんといっぱい話して、食事療法でガンと闘って行くことを決めた。

結果、手術をすることを辞める事にした。
明日、これを先生に伝えて終わりにしようと決めた。

前向きに、

2012年3月11日
姉と病院に行っても、帰ってきたら普通に仕事。
でも仕事をすることができて、それで前向きな気持ちになれる。


乳ガンかもと思い始めてから、野菜スムージーを毎日続けた。
毎日飲んで普通に生活して元気なんだけどね(^-^)


毎日の野菜ジュースために、お母さんは野菜を洗ってくれる。
この時期は水が冷たいのにも、そんなこと構わず綺麗に洗ってくれる。
これじゃぁ〜絶対にすぐ治るよって!
いつも思う。


日記には、
『自分で治せる気がしてるんだけど、そんなもんじゃないかっ⁉︎
いつも家族の言葉の中に勇気づけられてるんだなぁ〜。
お母さん、お姉ちゃん、子供たち色々ありがとう(o^^o)』
いつか私の日記をみんなに見せてあげたい。


娘からの電話。
暇だからって、時間潰しに電話をくれる。
これが凄く嬉しくて、元気になれる。

娘との会話では、病気には一切触れることがない。
娘の話を聞いていると、東京で元気で、楽しく過ごしているのが伝わった。
そして、今度岩手に帰ってくることになり、私の楽しみが増えた。


東京に娘2人を送り出してから、本当は不安でならなかった。
でも、娘たちがちょこちょこ連絡をくれて、話を聞かせてくれる。
遠く離れているのに、近くにいるように感じた。