lovely-mother’s blog

うちのお母さんはかなり病院嫌い。嫌いというより自分で治せると思う派。そんなお母さんが乳がんステージ3bと申告されてから5年と6ヶ月経ちました。その間食事療法や岩盤浴通い、睡眠改善など徹底して行っていたお母さんの事を書いていきたいと思います。お母さん目線、私目線、姉目線などいろいろな視点からそれぞれの想いなども一緒に書いていきたいと思います。

ついに病院の日

 

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病院から連絡が来なきゃいいな〜って毎日を過ごしてた日々。

 

この頃は、よく東京にいる子供たちと連絡してた。
マンションの窓から雨漏りして、布団が濡れちゃった〜。とか、
学校の話とか、バイトの話とか、
色んな話を聞いて毎日が楽しそうで、それだけで心が癒されていた

 

私は夜はヨガで体を動かして!
金曜は本業の後にバイト。
日曜はお出かけしたり、ネイルしてお洒落して買い物してと、

すっごい楽しんでたな〜。
そして、切り絵を買ってきて、夜の暇な時間に、切り絵してた。

 

 


2012年2月25日(土)


子供たちとも電話で話して、毎日2人とも楽しそう!!
声聞くと嬉しくなるし。
結局、病院からも連絡がなく28日(火)を待つだけだった
そして、この頃には切り絵も完成!

 


2012年2月28日(火)

 

 検査の結果を聞きに病院へ


電話が来なかったから、

全くの平常心で人間観察するほどの余裕。

名前が呼ばれ、私の順番が来た。
先生からは突然「一人で来たんですか?」
私はただ「はい。」とだけ答えて、

心の中で『そりゃそうでしょ〜。連絡来なかったんだもん。』って思った。

 

 

前触れもなく、先生は結果から私に告げたのだった
先生「結果から申しますと、

進行性悪性浸潤癌ステージ3のBです。」

私「えっ???」
私の頭の中では、ステージ3のBという言葉だけが、

リピートされ響き続けた、、、

先生「直ぐに手術が必要です。手術のための検査をしていきます。」


顔色変えずに、マニュアルにそった会話をされてた。

 

私「子供たちを育てていかないといけないので、

ちょっと考える時間が必要です
仕事だってしないと生活していけないし、

仕送りだってしないとだめなので!」と強く言い切った。

 

 

先生「生きるか死ぬかなのに、仕事なんて言ってられないでしょう」


そしてその日に手術日まで決めさせられた、、、
先生「ちょうど、3月に東北大学病院?から先生が着るので、

3月19日に手術の予定にします。」
(そんな名前の病院を言ってたな〜。)

もう話はそこまで言われた。
一人で聞いて一人で決めさせられて、

色んなことを考えさせられた。
病院では、意志の強い私でも「はい。」しか言えない状態だった。


その後、先生は「家族に相談しないで決めていいんですか?」

って質問してきた。
心の中では『はぁ〜』と大きなため息が。
ふと気づいたときには、手術日も決められて

病院の言いなりになってる自分がいた。

先生「寝れないと思うので睡眠薬を出しますか?」
私「いらないです。

 

 

 

 

『そんなのいらないよ。寝れないわけないでしょ。寝れるよ。』って心の中で思った。