lovely-mother’s blog

うちのお母さんはかなり病院嫌い。嫌いというより自分で治せると思う派。そんなお母さんが乳がんステージ3bと申告されてから5年と6ヶ月経ちました。その間食事療法や岩盤浴通い、睡眠改善など徹底して行っていたお母さんの事を書いていきたいと思います。お母さん目線、私目線、姉目線などいろいろな視点からそれぞれの想いなども一緒に書いていきたいと思います。

上の娘がお母さんが癌だと知らされた時


私たちは3人家族で、とても仲がいい家族。
私が東京に上京してからは、お母さんとさらに仲良くなったと思う。
家族でありながら、友達感覚で相談することもあった。

 


年頃ながらも、東京に上京してからは妹と2年くらい2人暮らしをしていた。
大きな喧嘩もよくしたし、一方的に私が責めることもよくあった。
それでも妹は黙って、次の日には仲直りしていた。

 

お母さんはよく「出かける前に喧嘩しても、必ず仲直りしてから出かけなさい。」と言っていた。
だから、喧嘩しても出かける前にどちらかが謝るって習慣がついていた。


お互いを思いやることを教えてくれたお母さんだったからこそ、いろんな苦しい状況も家族で乗り越えることができたのだと思う。
それに楽しい事や嬉しい話しを、離れていながらも共有していた。

 

 

そんな強くて優しいお母さんと、他人思いの心が広い妹が家族にいて、私は幸せ者で、そんな家族が大好きで、ずっとそんな日が普通に続くと思っていた。

 


お母さんの病気については、妹から聞いた。
乳がんについて、ガンのステージについて全く無知な私。
妹が調べたことを説明され、頷いて聞くだけだった。


お母さんなら大丈夫だろうって心の中で思った。
でも、本当は考えちゃいけないシチュエーションも同時に頭にはよぎった。
『妹と二人になること。』
でも、お母さんにも妹にもそんなことは口に出来ず、心に中で葛藤していた。

 

お母さんから状態を聞くまでは、病院で話を聞くまでは、考えないようにしていた。
考えれば考えるだけ、悲しみに落ちる私がいたからだった。

 

この当時の私は転職活動しながら、バイトをしていた。
すごいストレスを感じていたし、そのことをお母さんにも相談していた。
恐らく、気を使ったお母さんは私には直接言わなかったのかもしれない。
数週間後に実家に帰る話をしていた。
その時にお母さんを見て、話を聞いてそれから考えようって決めた。